Dynamo Open Air 1994

1994年5月21日にオランダ・アイントフォーヘンで開催された、DOA’94初日でのCynicのライブを観に行った時の写真(貰い物の写真も含む)。


これはセッティング中。

バックステージでのPaul

ライブ中

ライブ後の外で。

ちなみに、現在は削除されていまいましたがYoutubeにこの時のライブ映像とインタビューがアップロードされていたので、その部分のみ翻訳。

Jason:「Cynicのメンバーそれぞれがしばらくの間、別々のバンド・サイドプロジェクトに参加していた事が、Cynic自体の活動に完全に割り込む形になったのは事実だ。」

Jason and Paul:「だけどそのサイドプロジェクトが後にレーベルとの契約に繋がったし、
その上ハリケーン(※1992年にマイアミを直撃して甚大な被害をもたらしたハリケーンアンドリューの事)が俺達のリハーサル倉庫を破壊した、それがCynicが何でこんなにアルバムデビューするのに時間が掛かったか?の理由だよ。」

Jason:「”Focus”のライブではバンドメンバー以外に、ライブだけで歌うメンバーも参加しているんだ。俺達はデスメタルバンドだと思われてるけれども、アグレッシブな歌い方はしているが、同時にメロディー重視の歌い方もしているし、その部分でデスメタルとの違いを出している。曲には静かなパートもありシンセサイザーも使っている、このスタイルをデスメタルと呼ぶよりは、色んな音楽スタイルの混合体の方がいいかな、と思う。」

Paul:「Cynicの曲はまず曲自体が先に完成し、歌詞は後から言葉でその曲を表現するのに使うんだ。俺達は普段、クラッシックからジャズ、フュージョン、そして他のアグレッシブな音楽まで何でも聴いているよ。」

Jason:「どれも音楽である事に変わりは無いし、それが良く出来たものなら何であれ、きっちり評価すべき物だと分かっているさ。」

Jason:「フロリダのデスメタルシーンはもう瀕死の状態だよ。この手の音楽のパターンはもう出尽くした感もあるし、アグレッシブで速い歌い方の従来型のデスメタルはもうごく僅かしか残っていない。」

Paul and Jason:「多くのバンドがその表現の領域を広げようと、また自分のバンドの限界点を破ろうともがいているのが実情だ。」


日没後のバックステージ。画面左からDeath AngelのMark、Debbie Abonoさん、Paul、ReinertそしてMalone。

 

今、読むと’94の5月の時点でのフロリダのデスメタル界の実情等が色々分かるし、後にテクデス、プログレデスやブルデスとデスメタルが細分化していく分岐点がこの辺りの時期だったと分かって凄く興味深いインタビューでした。
( And Matthias, thank you so much for translating it! )

ちなみにこの削除された番組は、ドイツ版MTV的な音楽専門チャンネルの中の一つの番組だったとか。現在は見られなくなっているのが残念です。