Focus時代の懐かしい雑誌の切り抜きが出て来たので、ギリギリ読める程度で転載します。
これがB!誌に初登場の記事だと思います。
次がこれかな。
いやこっちが先?忘れました…。
そしてこれはYoung Guitar誌に載った物。
日本の商業雑誌での初インタビュー記事でした。
紙が変色してるのは経年劣化ですね。
書店で記事の載ったYGを見つけて、すごく嬉しかったのを今でも覚えている。
あれから20年以上も経ってるなんて信じられない。
Focus時代の懐かしい雑誌の切り抜きが出て来たので、ギリギリ読める程度で転載します。
これがB!誌に初登場の記事だと思います。
次がこれかな。
いやこっちが先?忘れました…。
そしてこれはYoung Guitar誌に載った物。
日本の商業雑誌での初インタビュー記事でした。
紙が変色してるのは経年劣化ですね。
書店で記事の載ったYGを見つけて、すごく嬉しかったのを今でも覚えている。
あれから20年以上も経ってるなんて信じられない。
記事『Focus以前の時代』の続きです。
’92のDEATHのヨーロッパツアーでの金銭上のトラブルにPaulとReinertが巻き込まれて機材を差し押さえられた話が少しだけ、次の年のKerrang!に載っていたので転載。’92の3月の出来事だったのですね。
それで、オビチュアリーが語った理由以外の、
CYNICのデビューアルバムの製作とリリースが遅れた最大の原因は
1992年8月にマイアミを襲ったハリケーン・アンドリューの被害が甚大だったからです。
これに関しては各雑誌(MetalManiacs誌、Terrorizer、Kerrang!その他色んな雑誌が当時、報じていましたが、一番適格に表現していたのがマイアミでファンジン「Cerebral Holocaust」を発行していたPaul Zimmerman氏の写真とコメントだったのでそれを載せます。
❝ハリケーン・アンドリューの被害の規模?シニックに聞いてくれ!彼等は要するに全部失ったんだ!!❞
この言葉が全て語っていると思う…。
Jasonはこのハリケーンで家を失い、バンドは練習の拠点にしていた倉庫を吹き飛ばされて、置いてあった機材が全部駄目になったので。
それを考えると逆に、バンドが大打撃を受けたその災害から
1年も経たない内にアルバムのレコーディングを終えたのが奇跡の様に思える。
ごく限られた機材と予算と時間の中で、彼ら皆がその時持っているものをすべて注ぎ込んだ。
だからこそ❝Focus❞なのだと、個人的に解釈しています。
CYNICのデビューアルバムは’92に出る予定でしたが、色々な事情があって’93に延期に。
この前、昔の雑誌切り抜きを整理していたら、’92年12月号?のB!誌の切り抜きが出て来て、
その中のオビチュアリーの来日インタビューの最後で簡潔にその事情を語っていたので転載します。
(ついでに当時の雑誌でのデスメタル関連記事もアーカイブ。最初はこんな感じだったのよ…。)
Focus時代もそれ以降も、何度も記事やインタビュー等を
掲載してくれてたMetal Maniacs誌ですが、
Cynicが初めて載ったのは多分、’91のこの号かな。
この写真、Reinertはもしかしたら十代かもしれない。
そして彼の着てるTシャツいいなー(^^;;。
DEATHのChuck Schuldinerについての懐かしい写真と雑誌記事を幾つか。
これはファンレターの返事に入っていたサイン入りポートレイト。
これは1994年末のYoung Guitar誌。
CYNIC関連もそうでしたが、ヤンギは最初からデスメタル系に一貫して好意的な記事を載せてくれていて凄く嬉しかったな。
’95の来日時のChuckのインタビュー記事を探したけど、何故か見つからないので
以下はEAT magazineに載った来日時のジーン・ホグランのインタビュー。(記事内でのライブの日付は8月ではなくて、実際は9月ですね。)
更にオマケ。’93のDEATHのNewsletterから。Chuck色々と可愛い。
ありがとうChuck、貴方の撒いた種は、その後も音楽界にずっと実り続けています。