ショーン・マローン インタビュー December, 2015

Malone plays Stick

 

from: Mayubaasan

ー貴方がベースを始めるきっかけになったベーシスト、
アルバム、曲などがあれば教えて下さい。

Sean:一番最初はRUSHのライブビデオ「Exit…Stage Left」
(邦題:ラッシュ・ライヴ~神話大全)を見て刺激を受けたんだ。
それからクリス・スクワイア(YES)のプレイも楽しんでよく聴いていたね。
でも実際に最初にベースギターを買おうと決めたのはミック・カーン(JAPAN)の影響だ。
彼が弾いていたからフレットレスのベースを買ったんだ。

ーひと言でベースと言っても、4弦や5弦、それ以上の弦の数のもあるし、フレットレスにフレッテッド、
指で弾いたりピックを使ったりと様々な選択肢がある奥深い楽器だと思っていますが、
貴方はこれまで自分のベースをどう選んで来て、どうやって今の形に落ち着いたのですか?

Sean:僕はだいたい12年間は4弦のベースを使ってたんだけど、
低音のBストリングが出す音域の広がりにすごく興味があって、それから5弦のベースに替えたんだ。
フレットレスを選んだのは先にも触れたけど、ミック・カーンに影響されて、だよ。
彼みたいなプレイはそれまで見たことが無かったし、フレットレスが一番、表現豊かに思えたんだ。

from: Syo

ー自分は日本でのライブは全部、観に行ったのですが
来日公演中、唯一大阪公演だけフレッテッドベースを使ったのは何故ですか?
また始めの数曲はいつも通りフレットレスを使っていましたが、どの様な基準で使い分けたのですか?

Sean:フレッテッドベースは予備で持って行ったんだけど、
せっかく日本までわざわざ持って行ったんだから、最低1回だけでも使ってみようと思ってね。

ー今回の来日で持参されたシグネイチャーフレットレスは
去年使っていた物と指板のドットが異なっていましたが、シグネイチャーは2本以上あるのか、
あるいはネックを交換したのかどちらですか?

Sean:使用しているベースは僕のためにカスタムメイドされたものだけど、
シグネイチャーベースではないよ。(シグネイチャーを出すには君も有名にならなきゃね)
このフレットレスベースのために2つのネックを持ってるよ。
1つはドットが指板の中心から外れて並んでいる、コーティングされたネック。
そしてドットが指板の中心に並んでいて、コーティングされていないネックだね。

(訳注※フレットレスベースはその名のとおりフレットがなく、弦が指板に直接当たるため、指板に摩耗が生じやすくなります。
そのためエポキシでコーティングし、摩耗しにくくしたものもありますが、当然に音や触ったときの感覚も異なってきます。)

ー愛用されてるシグネイチャーベースと同じスペックのベースを作りたいと思ってるのですが、
市販されているIbanez SR5005Eとは全くネックが異なるので、ネック材と指板材を知りたいです。

Sean:2本のフレットレスネックはエボニー指板のメイプルネック、
そしてコーティングされていない方のネックのヘッドには僕のイニシャルが入ってるよ。
(※SPMと入ってます)
エデンの為に作ったこのショートビデオで、もうちょっとアップで楽器を見ることができるよ。

ー来日時のミーティング&グリーティングイベントで、
シグネイチャーベースの特徴はコーティングしていない指板と薄いネックと貴方は言っていましたが、
以前使用していたGWB1と同じネック厚になっているのですか?

Sean:うん、そうだよ。

ー自分のベースプレイの特徴は何だと思いますか?

Sean:うーん、自分が言う事じゃないと思うけど、どんなやり方を試すにしても
いつでもまだまだ初心者の様な気持ちでいるよ。
そして君に何か大事なことを伝えるとしたら、一つ一つの音を丁寧に明瞭にはっきりとプレイする事、かな。

ー音作りでの秘密があれば教えて下さい。

Sean:それを知ってたら本当にいいのになあ!もし君がどこかで見つけたらすぐに教えてね。

ー以前あった御自身のブログに機材リストを載せられていた時は
compressorを使われていなかったと記憶しているのですが、
現在はMulticompを使われている理由を教えて下さい。
また、プリアンプもEBS製で統一されていますが、これらを採用された理由も教えて下さい。

Sean:MultiCompはベース用じゃなくてスティック用だよ。
ライヴでは将来的にはベース・コンプレッサーを使うべき、なんだろうけど
今はEBSのD.I.を通すだけで満足している。
EBSは去年、ジョン・ウェズリーのツアーに参加した時に
コリン・エドウィン(Porcupine Tree)からEBSのアンプを借りて、その音がすごく気に入ったんだ。
そこから興味を持ったって訳。
でもステージではラックユニットかペダルみたいな物の方を使いたかったし、
スピーカーキャビネットは使っていないから。
それでEBSがスピーカーエミュレーターの入ったD.I.ボックスを作っていて、今それを使ってるってことさ。

ーKubicki Ex-Factor(Focusのレコーディングとツアー時に愛用していたベース)
は今でも持っていて弾いたりしてますか?

Sean:まだ持っているけど、そんなに弾いたりはしてないな。

ー9月の来日の中で印象に残っていることは何ですか?

Sean:穏やかで品があって親切な日本人、かな。

from: miyabaa

ーGordian Knotの「Emergent」アルバムに収録の”Grace”のライブ録音について教えて下さい。
そのコンサートはそもそもどういったものだったのでしょう?
そしてライブは楽しかった?

Sean:あれは大学で作曲を学ぶ研究者と学生が開催したコンサートでの録音だったんだ。
そしてもちろん、すごく楽しかったよ。

ー貴方の出したベース教則本の「Dictionary of Bass Grooves」について。
付属のCDを聞くだけですごく楽しい「お仕事」だったと想像出来るのですが、
どんな感じでレコーディングを終えましたか?
また、何か面白い・印象的なエピソードがあれば教えて下さい。

Sean:その本の執筆作業は楽しかったけど、やる事が多すぎたのも事実だ。
もし君が何か文章を書くとして、それが読者に様々な音楽スタイルを紹介する内容だったら
あんな短い(注:1曲あたり平均1分)サンプル曲だけで全てをカバーするのは難しいと思うよ。

それで、ショーン・レイナートが付属のCDのレコーディングに快く参加してくれて
レコーディング自体はすごく楽しいものだった。
特に「Disco」のサンプル曲の録音ではめちゃめちゃ笑ったよ!

ー貴方が一番最初にチャップマン・スティックを見た時、どんな風に思いましたか?

Sean:スティックを見たのは本当に偶然で、たまたま楽器店で見たんだ。
生まれて初めて見る楽器で、どうやって弾くのかも何も分からなくて、でもとにかく弾いてみたかった。
だってその時のそのチャンスを逃したら、もうニ度とお目にかかれない気がしたからさ!


from: Shibu and Momo

ー夢が現実になったCynic奇跡の来日公演、本当にありがとうございました。
特にLiveで実際聴いた”Carbon-Based Anatomy”のベース・プレイには感動しました。
日本滞在は楽しめましたか?
また、日本のオーディエンスは如何でしたか?

Sean:日本に行ったのは今回が初めてだったけど、もう少し長く居られたら良かったな。
そして来日が決まった当初は、ベースの個人レッスンと楽器店でのベースクリニックを
開催する時間が取れたらと思っていたんだけど、空き時間がなかなか無くってね。
だからもし次に日本に行くとしたら、ベースクリニックのツアーに、レッスンと熟練者向けのクラスを追加出来たらいいかなと思っている。

それから、日本の観衆は僕が今まで出会った中で一番、
自分達の音楽を理解してくれて、鑑賞し正しく評価してくれる人達だった。
君達は毎晩、期待もしてくれていただろうし。
僕はそんな熱心で耳の肥えた人達の前で演奏が出来て、本当に光栄でラッキーだったと思っているよ。

ー貴方がミック・カーンから影響を受けたと知ってとても驚きました。
そもそも彼やJAPANというバンド自体、アメリカで人気があるとは思っていなかったので。
JAPANやMick Karnを知った切っ掛けは何でしたか?

Sean:ミック・カーンの曲を初めて知ったのは、友人が彼のソロアルバム「Titles」を聴かせてくれた時だったよ。(その時僕は17歳で、ベースを弾き始めたばかりだった。)
彼のはそれまで聴いた中で一番不思議なベースプレイだった。
その時までラッシュやレッド・ツェッペリンにイエスなど、ごく限られたバンドしか知らなかったからさ。
それから、ミックがバウハウスのボーカリストのピーター・マーフィーと一緒に演った
プロジェクト「ダリズ・カー」の言葉に出来ないほど斬新なベースプレイを聴いたんだ。

その次にCD「ドリームズ・オブ・リーズン・プロデュース・モンスターズ」の中の曲“Buoy”で
型にはまらない自由なベースプレイを実演してみせてくれた。
また彼はその反面、それまでの従来のポップソングのベースの路線も忠実に守ってもいるし。

それからすぐにジャパンのCD「Gentlemen Take Polaroids (邦題:孤独な影)」「Tin Drum (邦題:錻力の太鼓」「Oil On Canvas (邦題:オイル・オン・キャンヴァス)」を聴いて、フレットレスのベースを弾こうと決めたんだ。
(まだジャコ・パストリアスに出会っていない時にね。)
そこからミック・カーンとデヴィッド・シルヴィアンの一連の作品を追いかけていたんだ。

ミック・カーンはこれまでも、そしてこれからも僕の中でずっと変わらないヒーローの一人だ。

彼は僕の視野(耳)を広げてくれて、僕の心を外に向けて開かせてくれて、
僕がプレイし始めた頃に、音楽に対する喜びや、常に挑戦する気持ちを教えてくれた。

後になって考えてみると、ごく最初の頃からこんなにも自由な影響元の恩恵を受けていたんだなあ、と思う。

そして、今だに信じられない_____彼がもう、この世にいないなんて。

ー音楽理論の教授をされているようですが、
講義の合間をぬってのTour参加というのは難しいと思います。
2015年日本公演の他にCynicのLive Tourに参加できたものはどれくらいありますか?

Sean:僕のCYNICとしての最初のライブはフロリダ州ケンドールでのライブで、
「フォーカス」での完全なレコーディングメンバーとしては唯一のライヴだった。
(訳注:その後、ライブ時のみのサポートメンバーが何度か加わった事を意味していると思われる。)
その後にオランダ・アイントホーフェンでのダイナモ・オープン・エア1994に出演して、
それから同じ年にアメリカ・ツアーをやったんだ。
その次に僕がCYNICでライブに出たのはそれから20年後のベルギーでの
「グラスポップ・フェスティバル2014」だった。
その後にカナダのモントリオールでの「Heavy MTL」での演奏を含む
アメリカの西海岸と東海岸を廻る短いツアーをやって、最後は2015のアジアツアーだった。
このツアーは予定していたよりも早く終わってしまったけどね。

ー生徒から興味深い影響など受けることはありますか?

Sean:全ての教育に携わる者はみんな、それぞれ教えるという事について独自の考え方があると思うけど、
僕は効果的に人を教えるのには生徒と教師の交流が必要だと信じているよ。
別の言い方をすれば、君が彼ら生徒達に伝えたものと同じ位の量の事を(それほど多くなくてもね)、いつでも受け取る事が出来ないといけない。
そういう意味では僕は、僕の教え子達からしょっちゅう学んでると言えるね。

from: Shibu, Momo and Shotaro

ー元King CrimsonのBill Bruford、Trey Gunnが参加したGordian Knotは
正にスピリットはDiscipline期のKing Crimsonに通じる素晴らしい作品でした。
作品に合った優秀なミュージシャンの参加依頼要請には苦労しませんでしたか?

Sean:ビル・ブラッフォードやトレイ・ガンの様な偉大なミュージシャンがゴーディアン・ノットに参加してくれて僕はすごく幸運だったと思う。
彼らに接触するにあたっての懸念は、彼らが興味を持ってくれるかどうかだったんだ。

ゴーディアン・ノットの為の予算はごく僅かだったし、
彼等のキング・クリムゾン等に比べると聴き手の数もぐっと少ないから。
だから、彼等がこの音楽にただ単純に興味を持ってくれる事、
それだけが彼等がゴーディアン・ノットでプレイする気になってくれる動機だと思った。

でもありがたい事に、彼等は「いいよ」と言ってくれて、
同じ様に声を掛けた皆もOKしてくれたんだ。

ー今後Gordian Knotの作品がリリースされる可能性はありますか?

Sean:今の所、ゴーディアン・ノットの新作の予定は無いね。

ーKing Crimsonは最近再結成されてTourを行いました。日本公演は素晴らしく、
大きな話題になりましたが、再結成Tourはご覧になりましたか?

Sean:いや、再結成してからのコンサートは一度も観ていないな。


from: Shibu, Momo and yahman

ー1st Solo作品のCortlandtに収録されている曲はフュージョン、クラシック、
ワールド・ミュージック、プログレッシヴ・ロックと多様性に富んでいます。
むしろCynicのような音楽とは随分印象が異なるので、
Cynicでやっておられる音楽性の方が特異(例外)な気がします。
Death MetalやCynicへの参加には抵抗はありませんでしたか?

Sean:僕とCYNICの関係は、音楽的に見てもここ数年はジャンル的に少し自由な形に変わって来ているのは事実だ。
だけどバンド自体の歴史を考えると、僕がへヴィーメタルのベーシストだと思われるのももっともだよ。

でも僕にとってはへヴィーメタルとは、~あくまでCYNICに関して、だけど~
ファッションや生き方よりも、音楽自体の響きや音のざらざらした質感の方を意味している。

そして僕は自分の事をいつも、ただのベーシストだと思っている。
ある特定のジャンルにこだわるベースプレイヤーじゃなくてね。
僕は音楽のジャンルに関する論争や駆け引きには、もうまったく関心が無い。

こんな風に思える様になったのはー
「フォーカス」のベースパートを作って、プレイする様に頼まれた時に、
その時点では何も、この先について考える事も無かった。
言い換えると最初は、バンドの“メンバー”になったり、ツアーに出るって話も無かったし。

そしてそれから、ツアーに出る機会が巡って来て
皆で段階的に一歩一歩、物事をこなして行って、

学校での決まった授業と仕事の合間をぬって
自分が出来る時に、出来る場所でバンドに貢献して来た。

アルバム「Traced In Air」を作った頃にはもう、お互いが遠く離れて住んでいても
共同制作が出来たほどテクノロジーは進歩していた。

この事からも分かる様に“バンド”であるという意味も変化して来ている。
そしてそれ以来僕は、従来の意味での
自分がバンドのメンバーかそうでないかという事は考えない様にしている。

少なくとも僕は、CYNICという物語の一部だし
CYNICでも、また別の何かでも
Paul MasvidalとSean Reinertの二人と一緒に音楽を作る事が出来た
それらの全ての機会と幸運に、本当に感謝しているよ。

それでもし、CYNICでプレイする事で
僕がメタル系のベーシストになるならば、それはそれで構わないよ。

だけど、あらゆる物事の中心部分は、意外と単純なんだ。

僕はミュージシャンで、演奏するのと同じ位、研究を楽しんだり
作曲したり、音楽を教えたりする事も楽しんでいるんだ。

from:  Shibu and Momo

ーPhiladelphiaのProgressive MetalのClockworkの作品のラテン風味の興味深い曲”East of Knowing”に参加されていますが、
これはLaser’s Edgeレーベル絡みで参加依頼があったのでしょうか?

Sean: うん。レーベルのオーナーが彼等の曲の内の一曲でプレイしないか、と声を掛けて来たんだ。

ーAghoraの1stはco-produdeも担当され、かなり貴方のプレイもフィーチャーされていますが、どのような経緯で参加する事になったのでしょうか?

Sean: AghoraのリーダーのSantiagoは元々、CynicのファンでありPaul とSean Reinertの友達でもあったから、Reinertを通して僕もそのプロジェクトに参加する事になったんだ。

ーOSIの1stはMike PortnoyからJim Matheosを紹介されたことで参加されたようですが、DarkでHeavyなProgressive Rockでクオリティが高いです。
貴方のプレイもサウンドと融合していて素晴らしいです。
貴方が参加したときには曲は全て揃っていたのですか?

Sean: そのアルバムでは僕はやりたい事を好きにプレイして良かった。後であちこち多少の修正箇所はあったけどね。
だけど彼等は僕の思いついた殆どのベースパートに満足してくれたよ。

from: miyabaa

ー貴方がMike Portnoyと友人関係にあるのは知っていますが
そもそもどうやって知り合ったのでしょうか?

Sean: 90年代の中頃に、マイクがCynicのCDを気に入ってるって話を何人かから聞いた事があって。ちょうど同じ頃に、家からそう遠くない場所で彼がドラムスのクリニックをやってたんで、そこに行ってちょっと挨拶して来ようと思ったんだ。
そしたらマイクは僕の為にたっぷりと時間を取ってくれて、彼のドラム担当者やその他の人達と一緒に夕食に誘われたんだ。
僕達はその間ずっと音楽の事、好きなバンドの事などについて話したんだ。そしてそれ以来ずっと連絡を取り続けているんだ。

from: Shotaro

ーGordian Knotについてですが、プログレ界の伝説であるビル・ブルーフォードやスティーブ・ハケットとどうやって連絡を取り、レコーディングしたのですか?
“Emergent”というタイトルは彼らとの予想外の出会いが由来であると聞いたことがあるのですが。

Sean:  最初にビルに手紙と一緒にGKの1st. albumを送ったんだ。そしたら彼の返事はとても前向きで好意的なものだった。それで僕は次にデモ録音を送って2,3曲プレイするのに興味はありますか?と聞いた。彼はプレイしても構わないよと言ってくれたけれど、スケジュール的にアメリカに来るのは難しかった。

それで、彼の都合の良い時期に僕がロンドンに行くのはどうですか?と聞いたんだ。
彼の返事は「Yes」だけど、それから僕はロンドンまでの道のりを計算しなければならなかった。__学生の身にはとても高くつく旅行だったからね。

ちょうど同じ頃に、その時通っていた大学からの研究助成金を申請して、大英図書館所蔵のバッハの手書きの譜面の研究をしに行く話が持ち上がってて。
結果、その助成金の対象になってロンドン旅行の予約を入れて、ビルと一緒にセッション出来たって訳。
そして、僕がそこに居る間にビルがスティーブ・ハケットと連絡を取ってくれたんだ。

ー貴方がマイケル・マンリングとジャムっている映像があるのですが、詳細を教えて下さい。

Sean: 僕はその頃オレゴン州に住んでいて、近くのクラブでマイケルがソロライブをする予定だと知ったんだ。
以前、彼とは少しメールのやりとりをしてたから、すぐまた彼に連絡を取って「ライブを楽しみにしているよ」と伝えたんだ。そしたら寛大にも僕もライブに参加させてくれて、最後に一緒に「Donna Lee」を演奏したんだ。

僕はマイケルについてはどんなに褒め言葉を言っても言い足りない程だよ。彼は偉大なミュージシャンで最高のベーシストで、思いやりのある素晴らしい人だよ。

with John Wesley Band
with John Wesley Band

from: Syo

ー使用しているシールドケーブルの種類が知りたいです。

Sean: 特にこだわるメーカー名なんて無いよ。その時にある物を使うだけだ。

ー貴方は10弦グランドやレイルボードなど、90年代から様々なタイプの
チャップマン・スティックを使用されたことがありますが、
ピックアップも含めどの仕様のものが自分に合っているものだと思いますか?

Sean: エメット・チャップマンは次々と革新的なデザインのスティックを開発しているから、
ここ数年は僕も常に最新型の物を使っているよ。
「トレースト・イン・エアー」のレコーディング中に10弦のグランド・スティックに切り替えて、それをきっかけにずっと使い続けている。
スティックは弦間が広い方が好きだし、また12弦グランドに追加されている2つの弦は音楽的に必要性は感じた事が無いからね。
そして本体の材も色々試してみたけど、インディアン・ローズウッドが一番良かった。
それからPASV-4ピックアップは音色の幅について広いレンジでカバーしてくれるから。
だけどどのピックアップにも満足しているよ。全部良い音だからね。

ーまた、スティックにのみPhaserを使用するのは、どのような理由からですか?

Sean: スティックの低音側にフェイザーをほんの少し使って色を加えるのは好きだな。
でもそんなには使わない。ほとんどの部分では、ベースにはタイムベースなエフェクト(フェイザー、コーラス等)は使わない。特にフレットレスだと、それらを使うと正しい旋律でプレイするのがより難しくなる傾向にあるから。
それでなくても、エフェクトの類いをベースに使うのは本当は好まないけどね。

ーNS Stickは弾いてみたことはありますか?あれば感想などをぜひ聞きたいです。

Sean: いや、NS stickは試した事はないね。

ーCynicの曲でのベースラインを作る時、どのような点を意識して決定していますか。

Sean: たいていは曲のデモバージョンを貰うけど、たまにギターとドラムスが入った完成形で送られて来る事もある。その際に大事なのはラフな形でもいいからボーカルのメロディが入っていること。
そして僕はまずそれを楽器の音無しで聴いて、ベースパートのアイディアが浮かんで来るまでハミングしたり歌ったりする。(ベースラインのアレンジのアイディアを探りながら、よく散歩したり車の運転をしたりするよ。)
それからしばらくして、それらの曲のアイディアを音符にして書き起こす時もある。
もしくはベースを持ってデモに合わせてプレイしてみる。

その次にベースパートのラフな段階のものを録音し、PaulとReinertに送る。
その時点から全員で、どの部分をどう変えてどうすべきか曲の完成に向けた共同作業に入る。

そして皆の意見が一致したら、ベースパートの最終形を録音するんだ。

僕がCynicに参加していて楽しい理由の一つは、僕達3人の音楽そのものについての考え方、見方がとても良く似ているからだ。
そしてそれぞれのパートについて言い争いになるなんて考えもしないよ。
言い変えれば、お互いに後になって完成した物を修正したり手を加える事はめったにしない。

全てが自然に一つに合わさって行く様に思えるんだ。

ー今後、ベースに関する本や、あるいは文房具に関する本等を出版する予定はありますか。

Sean: 今の所、本を出す予定は何も無いね。

ー日本の音楽やミュージシャンで、もし好きなものがあれば教えてください。

Sean: 伝統的な日本の音楽 (と一般的な日本の芸術) に関する事なら、僕のアートと音楽と教育との関連で「間(ま)の概念」には影響を受けているよ。
そして好きな演奏家が二人いるんだ。内田光子(ピアニスト)と山下和仁(クラシックギタリスト)。たまたま二人とも日本人だっただけ、だけどね。

from: Shibu, Momo and Syo

ーこれまで色々なミュージシャンと共演されておりますが、自身のプロジェクトや
Cynic以外で特に印象に残っている作品などはありますか?

Sean: 君の考える「印象的」の意味がよく分からないから、答えるのは難しいな。
前にこのインタビューで答えた中で、僕のレコーディング作品殆どに触れている筈だよ。

from: Shibu and Momo

ー今後共演してみたいミュージシャンはいますか?

Sean: 正直に言うと、特には居ない(ザキール・フセイン(訳注:世界的に有名なタブラ奏者)と一緒に学べたらすごく嬉しいけど。)。これまで沢山、僕を感動させて元気付けてくれたミュージシャン達と一緒にプレイ出来て幸運だったよ、その内何人かは僕のヒーローだったし。でも今後はちょっと少なくなるかもね。

from: Shibu , Momo and Shotaro

ー音楽以外に時間を費やしていることは?

Sean: 僕は空いた時間の殆どを読書して過ごしている。可能な時は旅行を楽しんだりも。
それからビンテージ物の筆記用具と「書く」文化全般に興味があるよ。
僕は根っから好奇心が強いんだと思う。それで興味のあること全般について調べたりするのに時間を使っているよ。


from: Shibu and Momo

ーとても難しくて曖昧な質問で申し訳ありませんが、
貴方にとってRUSHとはどんな意味を持ちますか?

Sean: 自分の音楽についての古い記憶をさかのぼるとRUSHがあった。
そしてずっと長い間、僕の人生の一部だった。
13か14歳の頃は、自分がいつかミュージシャンになってベースを弾くなんて夢にも思っていなかった。

ベースを弾く様になっても、いつか人前で演奏したりレコーディングする機会が来るなんて思ってもみなかった。

人前でベースをプレイし始めても、2006年にマイク・ポートノイやポール・ギルバートと一緒にRUSHの曲を演奏するコンサートをするなんて、その頃は想像も出来なかった。

そして、そんな経験をした後でも、去年あった様にゲディーとアレックスに直接会える機会が来るなんて思ってもみなかった。

そして、君も分かると思うけど、RUSHは僕の長い音楽人生と切り離せないものであり、
これまで僕が音楽を演奏してきた時間の、更にそれ以上の存在なんだ。

ーとても悩ましい質問ですが、RUSHの最も好きなアルバム5枚、
特に思い入れのある曲のBest 5は何ですか?

Sean: 悪いけど、この手のリストは作る気がしないんだ。特に沢山ありすぎて選べない場合はね。だけど僕にとって大切で意味のある曲をいくつか挙げる事は出来るよ。

アルバムだと”Hemispheres”, “Permanent Waves”, “Moving Pictures”そして “Signals”にはすごく影響を受けた、あと”Grace Under Pressure”と”Presto”もね。
曲ですぐ頭に浮かぶのは“Hemispheres”, “The Trees”, “The Spirit of Radio”,
“Red Barchetta”, “Vital Signs”, “The Pass” そして“Subdivisions”辺りかな。
でも本当にまだまだ一杯あるよ。

ーまた、音楽講師として聴いて面白い曲を数曲教えてください。理由などもお聞かせください。

Sean: 君がどんな答えを待っているのか分かる気がするけど、でも音楽理論はそもそも音楽を評価する手段ではないんだ。
どちらかと言えば、詩を文法やスペルといった見地から質問するのに似ている。

だけどもし一般的な作曲法からRUSHを語るならば、彼等の音楽は、深い変化に富んだセンスと卓越した演奏技術の融合体であると。

そして彼等は常に努力と前進を続けて、音楽的なアイディアを繰り返し使ったりはしない。
常に新しい音楽的観点からの作品を次々と発表することが広く保証されているんだ。

ーRUSHのGigを見た中で最も印象に残ったものやエピソードがありましたら教えてください。

Sean: 僕もそんなに沢山RUSHのコンサートを観てる訳じゃないけど、
最新のツアーは本当に楽しかったよ。
その理由はステージで演奏する彼等自身が本当に楽しそうだったからさ。
そして最初から最後まで信じられない位素晴らしい演奏で、コンディションも最高だった。


All photos courtesy Sean Malone.