記事『Focus以前の時代』の続きです。
’92のDEATHのヨーロッパツアーでの金銭上のトラブルにPaulとReinertが巻き込まれて機材を差し押さえられた話が少しだけ、次の年のKerrang!に載っていたので転載。’92の3月の出来事だったのですね。
それで、オビチュアリーが語った理由以外の、
CYNICのデビューアルバムの製作とリリースが遅れた最大の原因は
1992年8月にマイアミを襲ったハリケーン・アンドリューの被害が甚大だったからです。
これに関しては各雑誌(MetalManiacs誌、Terrorizer、Kerrang!その他色んな雑誌が当時、報じていましたが、一番適格に表現していたのがマイアミでファンジン「Cerebral Holocaust」を発行していたPaul Zimmerman氏の写真とコメントだったのでそれを載せます。
❝ハリケーン・アンドリューの被害の規模?シニックに聞いてくれ!彼等は要するに全部失ったんだ!!❞
この言葉が全て語っていると思う…。
Jasonはこのハリケーンで家を失い、バンドは練習の拠点にしていた倉庫を吹き飛ばされて、置いてあった機材が全部駄目になったので。
それを考えると逆に、バンドが大打撃を受けたその災害から
1年も経たない内にアルバムのレコーディングを終えたのが奇跡の様に思える。
ごく限られた機材と予算と時間の中で、彼ら皆がその時持っているものをすべて注ぎ込んだ。
だからこそ❝Focus❞なのだと、個人的に解釈しています。