’94 July US-tour 旅行記

1994年5月、Dynamo Open Airを見てオランダから帰国したら、家のポストに次のCannibal Corpseと廻るUSツアーの日程表が届いてました。

その次にまとまった休みを取れそうなのは7月の後半なので、
行くのは7月22日のAlbanyと23日のBuffaloに決めたのだが、そのあと…この選択を心底後悔する羽目になるとは、飛行機のチケットを手配してる時には全く想像もつかなかったのであった…。

ところでインターネットがまだ発展途上だった’94に海外にライブを観に行く時の情報源は、(あくまで自分と友人達の場合は、ですが)
まずはMetal ManiacsやKerrang!、Terrorizor等の海外のメタル雑誌に載る各バンドのツアー日程を見る

飛行機やホテルを予約する

現地に到着してから、空港や駅のニューススタンドに置いてある地元のフリーマガジンで、その日のライブ予定を確認して会場に向かう。と、大体こういう流れでした。

…本当に、今では信じられないけれども、こんな限られた情報を頼りに行くしか方法が無かったんですよ。
たとえ好きなバンドのメンバーと直接、手紙(注:Eメールさえ殆ど普及していませんでした、当時は。)のやり取りをしていたとしても、一旦ツアーに入ってしまったらほぼ音信不通になってしまうので。(注:くどい様ですが当時は携帯電話も一般には普及してなかったのです。)

 

そんな訳で成田からデトロイト経由で最初のライブの目的地、NY州のAlbanyに到着。早速、空港のインフォメーションコーナーにあるフリーマガジンと情報ペーパーの類を幾つか貰って、ホテルにチェックイン。
ホテルの部屋のベッドの上に貰って来たフリーマガジン等を全部広げて、どきどきしながらAlbanyでのその夜と次の夜の催し物を細かくチェックする。

……無い。
コンサートホールから小さなクラブと思しき会場まで、何度も何度もどれだけ探してもCannibal CorpseとCynicの名前が無い。

嘘だ……。
日本からここまで飛行機を乗り継いで14時間、初めてのアメリカに一人で、この全く知らない街まで来たのに、ライブが見られないなんて。それとも彼等に何か、ツアーの予定が変わってしまうトラブルでも有ったのだろうか?
心臓の鼓動がどんどん早くなる、どうしよう、どうする?

ベッドに仰向けになって天井をぼんやり眺めながら考える。
もう、このまま此処に居ても何も出来ることも無いし、ともかく次の日のライブの予定地のBuffaloまで予定を早めて行く事にしよう。そしてもしも、そこでもライブの日程を確認出来なかったら……そしたらその時に考えよう。

そう決めて、早速ホテルのフロントに、二泊の宿泊予定だったのを切り上げて一泊だけに変更して貰いに行く。

平日の、夕方にはまだ少し早い時間帯のホテルは暇なのか、フロントには誰も居なくて、奥の事務室に通じるドアが開いていて、そこから話し声が聞こえて来る。

「今日、日本人の女の子が一人で泊まってるんだよねー。」
「へ、こんな所に一体何しに来てるのかねー」
…あら?これ、間違いなく自分の事ですね?
そしていや全く本当に(笑)自分でも何しに来たんだか…と思っていたので、これを聞いてちょっと笑ってしまった。
私に噂話を聞かれてしまったフロントの人は、逆に気まずい表情をしてましたが。ともかく先に払い込んだ料金から一泊分の宿泊費を払い戻してもらいキャンセル完了。腹を決めて、心は既に次の目的地Buffaloへ!

 

次の日の午前中。Albany空港で急遽飛行機の予約を取り、そのままBuffalo入り。

この時の飛行機がパイロット含めて定員10人程度のめっちゃ小型機で、自分の他に5,6人いた乗客の皆がその機体のあまりの小ささに驚いて、ちょっと不安な様子だったのですが、一人のビジネスマン風の男性が簡易タラップから機内に乗り込みながら「映画はどこだ?オレンジジュースは?!」ってジョークを飛ばしたので、機内にいた皆がどっと笑い、一気に雰囲気が和やかに。アメリカの人達のこんな所が好きだ。うん、今日はいい日になるかもしれない。

Buffaloの空港に到着してすぐに、インフォメーションカウンター横のフリーの情報誌を手に取って慌ててページをめくる。コンサートやライブの情報のページを震える手で探すと……次の日の日付で、あった!CynicとCannibal Corpseの文字が!嬉しくて力が抜けてその場にへたり込んでしまいそう…。

 

そうして、無事にライブを観る事が出来、Cynicの皆にもまた会うことも出来たのでした。(その時のライブの話はまた後日に。)

 

※オマケの話※
Jasonに会った時に「本当は一昨日にAlbanyに着いていて、そこでライブを観るつもりだったけど、予定が変更になったみたいだから…ツアー中に皆に何か大きなトラブルでもあったのかと心配したよ。」と言ったら
「トラブルかあ…。あ、そうそうこの前のライブで、軽食の何かに当たってしまったのか、ライブ中に皆でお腹の具合が悪くなってさ。終わってからトイレに慌てて駆け込んだよ!」
と言っていたので、今Youtubeで見る事が出来る1994年のUS-tourの動画の中に、もしかしたらその時のライブのものがあるかも…。

※オマケの話その2※
DOA’94とUSツアーでキーボードとグロウルを担当していたダナ・コスリー嬢、ステージ上では長身がよく映えて、その上男前なVo.を聞かせてくれて頼もしい存在でしたが、オフではこんなに可愛い子でした。ちゃっかりサインも貰ってしまった…。