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In Memory of Sean Reinert

彼の音楽的な功績はもう既に多く語られているので、
ここでは個人的な話を少し。

幸運にも何度か直接会える機会があったのですが、いつも笑顔で周りの人を楽しませる、それでいて細かな気配りも上手な人。

2015の来日時には、私の当時小学生だった娘も一緒に会ったのですが、(あらぬ疑いを掛けられない様に)自分からは絶対に彼女に触らない、でも小さな娘の為にさり気なく車道側を歩き店のドアを開けて椅子を勧める、その上英語の分からない娘を笑わせてリラックスさせた完璧な紳士振りに、見てて感心しきり。
本当にきちんとした御家庭で育って、小さな頃からしっかりとした紳士教育を受けた、ちゃんとした人だったんだな…と。

今にして思えば、いつも彼を通してアメリカを見ていた。アメリカの真の美徳や本物の豊かさ、陽気さと鷹揚さと懐の深さを。

 

そういう事を全て含めて、彼に会えて良かった。そしてこれからもずっと大好きだと言える。
ありがとう、さようなら、Sean Reinert

誤植

雑誌 Thrash ‘N’ Burnの1992年1月号に載ったDEATHのHumanの広告。

この中のReinertの姓がSean Reinhartになっているのに注目。
誤植だけど昔、本人からReinert家のルーツはドイツと聞いた記憶があるので、このラインハルト表記はあながち間違いではないのかもしれない…。

1994年秋のCYNIC公式ニュースレター

探し物をしていたら、懐かしい物が出て来たので。
これは’94の秋頃にバンドが発行したニュースレターの1枚目。

2枚目

3枚目

文字が潰れて読み難い箇所があるので抜粋して翻訳。

2枚目の上から「バンドは新作の準備で忙しくしてる。出来れば12月の終わり頃にはレコーディングに入りたい。新作は美しい驚きが一杯詰まっているよ」(※注:これは後にPortal Tapesとして発表された作品のこと。)

’94の春から夏にかけてのUSツアーでキーボードとグロウルを担当してくれていたDanaは今、大学で勉強とギターの練習に励んでいる。彼女から“今回(1994年)のUSツアーで知り合った新しい友達みんなに愛を込めて”とメッセージを預かったよ。

 

“プレイリスト一覧(最近のものと、ずっと好きな物も含めて)”

Paul
1. My Bloody Valentine “Loveless”
2. Pat Metheny “Secret Story”
3. Seal “Seal”
4. Ozric Tentacles 色々
5. Keith Jarret “Vienna Concert”

Sean Reinert
1. John Coltrane “A Love Supreme”
2. Queen “Best of (邦題 Greatest Hits)”
3. Allan Holdsworth “Hard Hat Area”
4. Level 42 “Staring At The Sun”
5. Wayne Johnson Trio “Spirit Of The Dancer”

Jason
1. Kazumi Watanabe “Killowatt”
2. Return To Forever 色々
3. Brand New Heavies
4. Marvin Gaye “Greatest Hits”
5. Ira Kere “Greatest Hits”

Focusのツアーでのライブビデオと、そのメイキングビデオを集めた物をリリースする計画があるんだ。詳しい事は決まり次第知らせるね。

 

3枚目の上から
“曲作りについて”
大抵はそれぞれが家で4-trackレコーダーとパソコンに曲のアイデアを書きためておく。それからそのテープを持ち寄って交換し、その曲自体の背景に合わせてそれぞれのパートをリズムとハーモニーの両面から結合して行く。

そして曲のラフな骨組みを作り上げた後は、何度もリハーサルを重ねて手直しを繰り返し、曲全体を組み上げる。

ヴォーカルのアレンジ、間奏、ソロ、イントロにエンディング…ひとつの曲が完成に至るまでには、もの凄く多くの事柄を考慮しなければならないんだ。

 

“最近の動向”
クリス・クリンゲルがこれからCynicのベースを担当する事になった。クリスは去年(1993年11月~12月)のヨーロッパツアーでもプレイしてくれていたんだ。友好的にバンドを離れたショーン・マローンに心からの別れの挨拶を。そしてアルーナ・エイブラムス、新しいキーボードプレイヤーを紹介します。彼女はポールと共にヴォーカルも担当するんだよ。

個人的リンク集

たまに「Malone先生のあの動画が見たい!」となっても、
リンクがバラバラで探すのにひと手間なので、
リンク集を作ってみました。

2017/2/27公開
John Wesley Bandのベーシストとして参加のCruise to the Edge 2017でのライブ。


2016/12/31公開
EBS Swedenのデモ動画。
“いつも自分の事を気に掛けてくれている日本のファンの為に”
敢えてCynicでのライブ動画を編集したそうです。

Sean Malone

Sean Malone sent us this little video greeting from a gig with Cynic in Japan. Bass recorded live using EBS MultiComp and MicroBass II pedals. Enjoy!Original footage by Pudding Broadcast, Japan. www.puddingbroadcast.com #bassgear #seanmalone #cynic

EBS Professional Bass Equipmentさんの投稿 2016年12月30日金曜日

 

2016/12/10公開
Roswell DELPHOSマイクロフォンのデモ動画。
曲はバッハ無伴奏チェロ組曲 第6番。

2016/9/28公開
現バンド名Light the Torch (元Devil You Know)のギタリストFrancesco ArtusatoとMalignancy、Fear FactoryのドラマーMike Heller、そしてMalone先生の星野楽器エンドーサー3人でのコラボ曲“For What it’s Worth”。

Francesco Artusato, Sean Malone and Mike Heller perform their …

Great things happen when extraordinary talent comes together! Check out this video play through of a song that was born from a collaboration between Francesco Artusato of Devil You Know, Sean Malone of Cynic and Mike Heller Drums of Fear Factory! The song is entitled "For What it's Worth'.

Ibanez Guitarsさんの投稿 2016年9月27日火曜日

2016/8/11公開 Roswell Mini K47スタジオコンデンサーマイクロフォンのデモ動画。

’94 July US-tour 旅行記

1994年5月、Dynamo Open Airを見てオランダから帰国したら、家のポストに次のCannibal Corpseと廻るUSツアーの日程表が届いてました。

その次にまとまった休みを取れそうなのは7月の後半なので、
行くのは7月22日のAlbanyと23日のBuffaloに決めたのだが、そのあと…この選択を心底後悔する羽目になるとは、飛行機のチケットを手配してる時には全く想像もつかなかったのであった…。

ところでインターネットがまだ発展途上だった’94に海外にライブを観に行く時の情報源は、(あくまで自分と友人達の場合は、ですが)
まずはMetal ManiacsやKerrang!、Terrorizor等の海外のメタル雑誌に載る各バンドのツアー日程を見る

飛行機やホテルを予約する

現地に到着してから、空港や駅のニューススタンドに置いてある地元のフリーマガジンで、その日のライブ予定を確認して会場に向かう。と、大体こういう流れでした。

…本当に、今では信じられないけれども、こんな限られた情報を頼りに行くしか方法が無かったんですよ。
たとえ好きなバンドのメンバーと直接、手紙(注:Eメールさえ殆ど普及していませんでした、当時は。)のやり取りをしていたとしても、一旦ツアーに入ってしまったらほぼ音信不通になってしまうので。(注:くどい様ですが当時は携帯電話も一般には普及してなかったのです。)

 

そんな訳で成田からデトロイト経由で最初のライブの目的地、NY州のAlbanyに到着。早速、空港のインフォメーションコーナーにあるフリーマガジンと情報ペーパーの類を幾つか貰って、ホテルにチェックイン。
ホテルの部屋のベッドの上に貰って来たフリーマガジン等を全部広げて、どきどきしながらAlbanyでのその夜と次の夜の催し物を細かくチェックする。

……無い。
コンサートホールから小さなクラブと思しき会場まで、何度も何度もどれだけ探してもCannibal CorpseとCynicの名前が無い。

嘘だ……。
日本からここまで飛行機を乗り継いで14時間、初めてのアメリカに一人で、この全く知らない街まで来たのに、ライブが見られないなんて。それとも彼等に何か、ツアーの予定が変わってしまうトラブルでも有ったのだろうか?
心臓の鼓動がどんどん早くなる、どうしよう、どうする?

ベッドに仰向けになって天井をぼんやり眺めながら考える。
もう、このまま此処に居ても何も出来ることも無いし、ともかく次の日のライブの予定地のBuffaloまで予定を早めて行く事にしよう。そしてもしも、そこでもライブの日程を確認出来なかったら……そしたらその時に考えよう。

そう決めて、早速ホテルのフロントに、二泊の宿泊予定だったのを切り上げて一泊だけに変更して貰いに行く。

平日の、夕方にはまだ少し早い時間帯のホテルは暇なのか、フロントには誰も居なくて、奥の事務室に通じるドアが開いていて、そこから話し声が聞こえて来る。

「今日、日本人の女の子が一人で泊まってるんだよねー。」
「へ、こんな所に一体何しに来てるのかねー」
…あら?これ、間違いなく自分の事ですね?
そしていや全く本当に(笑)自分でも何しに来たんだか…と思っていたので、これを聞いてちょっと笑ってしまった。
私に噂話を聞かれてしまったフロントの人は、逆に気まずい表情をしてましたが。ともかく先に払い込んだ料金から一泊分の宿泊費を払い戻してもらいキャンセル完了。腹を決めて、心は既に次の目的地Buffaloへ!

 

次の日の午前中。Albany空港で急遽飛行機の予約を取り、そのままBuffalo入り。

この時の飛行機がパイロット含めて定員10人程度のめっちゃ小型機で、自分の他に5,6人いた乗客の皆がその機体のあまりの小ささに驚いて、ちょっと不安な様子だったのですが、一人のビジネスマン風の男性が簡易タラップから機内に乗り込みながら「映画はどこだ?オレンジジュースは?!」ってジョークを飛ばしたので、機内にいた皆がどっと笑い、一気に雰囲気が和やかに。アメリカの人達のこんな所が好きだ。うん、今日はいい日になるかもしれない。

Buffaloの空港に到着してすぐに、インフォメーションカウンター横のフリーの情報誌を手に取って慌ててページをめくる。コンサートやライブの情報のページを震える手で探すと……次の日の日付で、あった!CynicとCannibal Corpseの文字が!嬉しくて力が抜けてその場にへたり込んでしまいそう…。

 

そうして、無事にライブを観る事が出来、Cynicの皆にもまた会うことも出来たのでした。(その時のライブの話はまた後日に。)

 

※オマケの話※
Jasonに会った時に「本当は一昨日にAlbanyに着いていて、そこでライブを観るつもりだったけど、予定が変更になったみたいだから…ツアー中に皆に何か大きなトラブルでもあったのかと心配したよ。」と言ったら
「トラブルかあ…。あ、そうそうこの前のライブで、軽食の何かに当たってしまったのか、ライブ中に皆でお腹の具合が悪くなってさ。終わってからトイレに慌てて駆け込んだよ!」
と言っていたので、今Youtubeで見る事が出来る1994年のUS-tourの動画の中に、もしかしたらその時のライブのものがあるかも…。

※オマケの話その2※
DOA’94とUSツアーでキーボードとグロウルを担当していたダナ・コスリー嬢、ステージ上では長身がよく映えて、その上男前なVo.を聞かせてくれて頼もしい存在でしたが、オフではこんなに可愛い子でした。ちゃっかりサインも貰ってしまった…。

Dynamo Open Air 1994

1994年5月21日にオランダ・アイントフォーヘンで開催された、DOA’94初日でのCynicのライブを観に行った時の写真(貰い物の写真も含む)。


これはセッティング中。

バックステージでのPaul

ライブ中

ライブ後の外で。

ちなみに、現在は削除されていまいましたがYoutubeにこの時のライブ映像とインタビューがアップロードされていたので、その部分のみ翻訳。

Jason:「Cynicのメンバーそれぞれがしばらくの間、別々のバンド・サイドプロジェクトに参加していた事が、Cynic自体の活動に完全に割り込む形になったのは事実だ。」

Jason and Paul:「だけどそのサイドプロジェクトが後にレーベルとの契約に繋がったし、
その上ハリケーン(※1992年にマイアミを直撃して甚大な被害をもたらしたハリケーンアンドリューの事)が俺達のリハーサル倉庫を破壊した、それがCynicが何でこんなにアルバムデビューするのに時間が掛かったか?の理由だよ。」

Jason:「”Focus”のライブではバンドメンバー以外に、ライブだけで歌うメンバーも参加しているんだ。俺達はデスメタルバンドだと思われてるけれども、アグレッシブな歌い方はしているが、同時にメロディー重視の歌い方もしているし、その部分でデスメタルとの違いを出している。曲には静かなパートもありシンセサイザーも使っている、このスタイルをデスメタルと呼ぶよりは、色んな音楽スタイルの混合体の方がいいかな、と思う。」

Paul:「Cynicの曲はまず曲自体が先に完成し、歌詞は後から言葉でその曲を表現するのに使うんだ。俺達は普段、クラッシックからジャズ、フュージョン、そして他のアグレッシブな音楽まで何でも聴いているよ。」

Jason:「どれも音楽である事に変わりは無いし、それが良く出来たものなら何であれ、きっちり評価すべき物だと分かっているさ。」

Jason:「フロリダのデスメタルシーンはもう瀕死の状態だよ。この手の音楽のパターンはもう出尽くした感もあるし、アグレッシブで速い歌い方の従来型のデスメタルはもうごく僅かしか残っていない。」

Paul and Jason:「多くのバンドがその表現の領域を広げようと、また自分のバンドの限界点を破ろうともがいているのが実情だ。」


日没後のバックステージ。画面左からDeath AngelのMark、Debbie Abonoさん、Paul、ReinertそしてMalone。

 

今、読むと’94の5月の時点でのフロリダのデスメタル界の実情等が色々分かるし、後にテクデス、プログレデスやブルデスとデスメタルが細分化していく分岐点がこの辺りの時期だったと分かって凄く興味深いインタビューでした。
( And Matthias, thank you so much for translating it! )

ちなみにこの削除された番組は、ドイツ版MTV的な音楽専門チャンネルの中の一つの番組だったとか。現在は見られなくなっているのが残念です。

幻の来日公演

…と言ってもCYNICの来日公演の話ではないです。

あれは1992年の秋頃のこと。
Obituaryが来日して、ライブを観に行ってその話をSean Reinertに手紙で書いて送ったのですが。

その返事の中で
「Obituaryみたいなバンドが日本でライブ出来るのはすごく良い事だよね。実は俺達も去年、DEATHのHumanのtourで日本に行く話があったんだ。結局実現しなかったけどね。」

うわーーーー!!これは是非とも実現して欲しかった!
前にも書いたけど自分はDEATHのアルバムでは”Human”が一番好き。
その上、PaulとSean ReinertがChuckと一緒に観れるなんて
本当に、今となっては夢の様な話。

それからもし実現していたら、若いSeanとPaulが日本で何を見て何を感じたか、とかもすごく興味深かったし。…なんで話が立ち消えしたのか…。

で、写真はReinertからの手紙の該当箇所

Sean Reinertの字は筆圧が強くて、文字のバランスが良くてすごく読みやすい字で大好きでした。なんとなく彼のドラムスのプレイスタイルにも共通する様な。

parted ways

さて。2015年の事を書くなら「あのこと」も書かなければならない。

これはPaulから送られて来た94(多分)のUS-tourの時撮ったであろう写真。

こちらは同じ頃にSean Reinertから送られてきた写真です。

同じ風景を見て感動して

誰も聞いたことが無い音楽を二人が中心になって創り上げて

音楽で生計を立てる、という夢を二人ともかなえて

今、そんな二人の進む道がはっきりと分かれようとしている

 

ファンとして、そのことが
ただ悲しい、それだけです。